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三十路女の酒と肴、時々男

33歳、独身、東京都民、一人暮らしの会社員(♀)。なんでもない日々の記録。


壇蜜日記を読んで書きたくなったことを書いたり

前情報も得ず、立ち読みもせず、のまっさらな状態で、先週買った『壇蜜日記』の1ページ目を、私は朝の通勤電車で開いた。
ある程度の期待は勿論したからこその購入だけれど、想像していたよりもずっと面白いと、数ページ読み終えて感じた。

人の文章表現は、その人の人生が表れているように思えて大変興味深い。
出会った人や本や学問、見てきたテレビ、住んできた場所、家族。
各々の人生の中の、数々の膨大な出会いで培われたものが、各々が紡ぐ一文字一文字に繋がっていると思うと、なんとも感慨深い。
この考えが小中学生の頃の私にもう少しだけでもあったなら、あの頃のように機械的に作文用紙に文字を埋めていく作業としてでなく、もっと違った形で読書感想文や作文に取り組めただろうか。
いや、こういう考えに至るまで、私には32年という時が必要だったわけだから、こんなタラレバは無意味なことなのだけれど。


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私が積極的に交遊関係を新規開拓できない幾つかの理由

壇蜜日記』の中に、
「対応しなければ多すぎる」
という表現を見つけた際、
(おお!これは私が探し求めていた表現方法だ!)
と強く感じた。
これは壇蜜さんにとっての飲み会における心情なのだけれど、私も複数人での会合の際、彼女の言いたいこととはまた異なるのかもしれないけれど、同様な感情を抱いていた。
折角なので、私の考えるそれについて記しておきたい。

①チューニング
私は人と接する際、無意識に人それぞれに「チューニング」を合わせる性分が子供の頃からある。
私の言う「チューニング」とは端的に言えば、話題、テンション、話し方、態度等を、相手によって微調整することである。
所謂「作っている」とはまた違い、家族、他人に関わらず、私は無意識下の意識によりそれをいつも行っている。
これを行うようになった原因を、この記事を書く上で少し考えてみたけれど、それは家族事情云々に少なからず起因するように思えたので、敢えて今回は言及を避ける。
この自身の性質もあり、私は複数人での会合をあまり得意としないのだ。
この複数人が、似通ったチューニングで良い人達の集合(例えば、同じコミュニティー内の、同じ程度の関係性の人達)であれば大きな問題はないのだけれど、例えば、友人と自分の兄弟が同席、というような状況であれば、彼らのチューニングは全く異なるため、私の頭と心の中は2000年になる瞬間に危惧された問題くらいの混乱が発生する。
「初対面」×「一対一」という状況の場合は、上述の場合と比較すると問題はないものの、その相手がどういった性質の持ち主なのかが全くの未知であるため、探り探りのチューニングになってしまい、インプット、アウトプット共に、普段よりも格段に動作が遅くなる。
初対面の人が多数いる飲み会なんてものは、未知との遭遇過ぎるあまりに、フリーズを起こしてしまう。


②振り幅が狭い
次に、人との心地良い距離感や感覚は人それぞれだけれど、それが似通っていたり、お互い譲歩可能な感覚の人となるべくは一緒にいたい、という理由だ。
私は他者への譲歩可能な振り幅が決して広くないと自身を捉えている。
自分の感覚と差異がありすぎる他者と接する場合、感情を逆撫でたり、逆撫でられたりすることが比較的多く発生する、ということをこれまでの経験の中で感じてきた。
例えば、感覚の差異があればあるほど、自分にとっての冗談が相手の逆鱗に触れることもあるし、その逆もあり得る。
また、踏み入れられたくない心の領域に、お互い無自覚に足を踏み入れてしまう可能性も高くなると考えている。
その可能性を危惧し、他者との軋轢に臆病になり、積極的に交友関係を広げていく、という行為を私は敬遠している節がある。

長々と書いたが、これが「人見知り」「引っ込み思案」の心理の一説、一側面である。



コミュ力のある方が、コミュ障の人にこれまでよりも少しだけ温かい目を持って下さるきっかけの一つにこの記事がなれば幸いである。


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